山﨑益弘氏 テーマ:文化都市浦安、浦安市生涯学習課が描く展望 ページ2

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将来の夢に突き進む山﨑先生

写真:対談のようす1

洋一郎:音楽大学に入るということは、専門家になりたいということですよね。どんな将来を描いていたんですか?
山﨑:二つありました。一つは、プレイヤーです。
石岡:トランペッターですね!
山﨑:はい。トランペットを吹いていきたいですから。そしてもう一つは、教員の道。
石岡:なるほど。
山﨑:大学で教職課程の授業を取っていましたからね。
洋一郎:音楽に関わって生きていこうと決めて、突き進んでいらしたんですね。
山﨑:・・・音楽に関わっていきたい。関わっていけたら良いなあと思っていました。それほどトランペットが好きになっちゃったんですね!
石岡:そこまで惚れこむとは素晴らしいですね。
山﨑:自分の傍らには小学校の5年生から常にトランペットがあったわけですから。
洋一郎:トランペットを続けることにご両親の反対はありませんでしたか?
山﨑:特になかったです。やりたいことをやりなさいと言ってくれました。
洋一郎:良かった!
山﨑:ただ、大学3年のときに父親ががんで亡くなったのですが、それが大きな転機となりました。二つの道のどちらを進むのか。
石岡:プレイヤーになるのか、教員になるのかですね。
山﨑:プレイヤーは技術力や表現力、厳しいものを求められる世界ですよね。
洋一郎:はい。
山﨑:難しいのではないかと自分の中で思い始めて。教員の道を目指すことにしました。
洋一郎:そんな辛い出来事を乗り越えて決めたのが、先生になることだったんですね。
山﨑:そういえば、地元にテーマパークが出来た年のクリスマスイベントで、トランペットを吹きました!
石岡:お~!
洋一郎:すごい!
山﨑:アルバイト感覚でオーディションを受けて。
洋一郎:山﨑先生はアルバイトまで音楽一色なんですね(笑)

時代の変化を肌で感じながら

写真:対談のようす2

石岡:浦安で生まれ育って、浦安で仕事をするようになって。時代の変化をどんな風に感じていらっしゃいましたか?
山﨑:一番大きい変化は浦安弁が聞かれなくなったことです。
洋一郎:えっ、そこですか!?
山﨑:1985年に浦安中学校に赴任したんです。自分が行くことをやめてしまった学校に。
洋一郎&石岡:(笑)
山﨑:そのときの子どもたちにはまだ、「おい(私)」「いし(あなた)」を使う、浦安弁の世界がありました。
洋一郎:へ~!
山﨑:でも、勤め始めて3年もすると急に使われなくなってきたんですね。
石岡:変化の真っ只中にあったんですね。
山﨑:今振り返っても、大きな変化だったと思います。交通網が発達して、転入する人が急増したことも大きな変化ですが、それより言葉が変わったことは、身近に起こった変化として何より大きかったです。
洋一郎:どうしてそんなに変わっちゃったんでしょう?
山﨑:なんでですかね。
洋一郎:テレビの普及?
山﨑:すでにテレビはありましたよ!(笑)
洋一郎:失礼しました(笑)
石岡:色んな人が流入してきたからでしょうか。
山﨑:そうですね。元町の中学校にも、昔からの浦安のお家の子だけではない子どもが増えてきた、そういう変化の波が来ていたんでしょうね。
洋一郎:80年代はそういう時代だったんですね。
山﨑:そういえば小学5年のときに扁桃腺を腫らして、その手術のために都心の病院に入院したことがあるんです。子どもだけの大部屋。そこで当時は浦安弁しか使えないので、病室で自分のことを「おい」って言っていたんですね。そうしたら同じ病室の同い年くらいの子、茨城の取手の子に「こいつ“おい”って。なあに言ってんのかねェ~?」なんて言われましてね。
洋一郎&石岡:(笑)
洋一郎:それはヒドイ!(笑)
山﨑:こっぴどく馬鹿にされて。
洋一郎:キミには言われたくないって思っちゃいますね。
山﨑:布団被って泣いてました。茨城に馬鹿にされた~って。
洋一郎&石岡:(笑)
洋一郎:かわいい(笑)

教員生活の喜び

洋一郎:そしていよいよ、念願の音楽の先生になりました。いかがでしたか?
山﨑:1985年当時の中学校は、全国的に荒れていました。音楽室で授業をやっていると、ベランダで良くないことをしている生徒が見えていたり。その対処もしなくてはなりませんでした。
洋一郎:それは大変!山﨑先生だって若くて、先生になり立てなのに。
山﨑:生徒と10歳くらいしか離れてませんからね。若くて経験のない初任で、当時は研修期間というのは殆どありませんでしたから。余裕がなかったですよ。
石岡:民間企業のように研修して、配属が決まって、それから現場という訳ではないんですものね。
洋一郎:いきなりドーンと荒れてる環境に飛び込むなんてねえ。それでは着任早々、教員の仕事の難しさに直面したんですね。
山﨑:ただ、やりがいはありましたよ。音楽を通して子どもたちと接することです。子どもたちに音楽を好きになってもらいたいという気持ちで取り組んでました。音楽を好きになった大元は“トランペット”ですから・・・
洋一郎:そうですよね!
山﨑:吹奏楽部の子どもたちと接すること、部活の顧問になること、それは教員生活の喜びの大きなウエイトを占めていました。

生涯学習課ってどんなところ?

写真:対談のようす3

洋一郎:さて現在、浦安市の生涯学習課にいらっしゃるわけですが、生涯学習課とはどういったところなんですか?
山﨑:大きく二つに分かれています。文化振興係と生涯学習係です。
石岡:それぞれどんな役割になっているのでしょうか?
山﨑:文化振興係の方は浦安市文化会館や浦安市民プラザなど、文化施設と共に浦安市の文化振興を図るべく、様々なイベントを催しています。
洋一郎&石岡:はい。
山﨑:生涯学習係は、未就学児から高齢者まで市民の皆さんが生涯に渡って学ぶことができるように、その環境作りやサポートをしています。
洋一郎:相当幅広い分野のお仕事ですね。
山﨑:学校教育以外の学習が対象です。
石岡:どういう流れで生涯学習課に行くことになったのでしょう。希望を出すのですか?
山﨑:いえ。ここに行きなさいって(笑)
石岡:辞令なんですか!
洋一郎:学校を離れるのは寂しくなかったですか?
山﨑:学校現場から生涯学習課に来るときには既に、学校では教頭という立場でした。管理職となると子どもとの接点は薄くなってきてしまうんですよね。学級担任だったり部活の顧問だと密ですけれど。
洋一郎:さらに学校から役所に移ると、子どもとの触れ合いが益々少なくなってしまいますよね。
山﨑:そうですね。でも行きなさいと言われれば「はい!」と。「浦安市の教育のために行きます!」と。
石岡:学校の先生は学校だけではなくて、教育行政に関わる学校外でも働いていらっしゃるんですね。知りませんでした!

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